金ナノ粒子プローブを用いた
新しい病原性微生物核酸検出キットの開発
研究開発部
平野麗子, 土井和彦
現在、世界では約20億人が安全な飲料水を利用できていないという深刻な状況にあります。2016年には、安全でない飲料水供給施設や衛生設備の不足が原因で、世界全体で87万人の関連死が報告されました。この問題はSDGs(持続可能な開発目標)の目標6「安全な水とトイレを世界中に」と深く関わっており、国際社会全体での早急な対応が求められています。
水は人間にとって不可欠な資源です。水分摂取が不足すると、熱中症や脳梗塞、心筋梗塞などの健康障害のリスクが高まり、さらには命に関わる問題に発展します。一方、病原体で汚染された水を摂取した場合、水系感染症を引き起こします。飲料水における最大の微生物学的リスクは、ヒト、野生動物、家畜の糞便による汚染に関連しており、糞便は病原性を有する細菌、ウイルス、原虫、蠕虫を含む可能性が高いのです。このような汚染水の摂取により、腹痛、下痢、嘔吐、発熱、頭痛といった症状が現れ、特に下痢は脱水症状を引き起こし、栄養状態が悪い途上国では死に至るケースも多々見られます。
さらに、下痢性疾患は全世界の障害調整生存年(DALY: Disability-Adjusted Life Year)の約4.1%を占め、毎年180万人もの死者をもたらしています。この値は、交通事故による死者数と同程度であり、水系感染症がもたらす公衆衛生への脅威の大きさを示しています。また、これに関連する経済的損失も深刻で、医療費用、労働力の喪失、予防対策費用、さらには観光業の低迷など、多方面にわたる影響を引き起こします。一方で、この課題を解決するための明確な方向性も存在しており、安全な飲料水の確保に向けた取り組みが、世界GDPの5%から10%の成長をもたらす可能性があるとも期待されています。
飲料水中の病原体検査の現状と課題
現在、飲料水中の病原体を検出する手法として、培養法、ラテックス凝集法、イムノアッセイ法、PCR法などが使用されています。培養法は低コストである一方、長時間を要するうえ、難培養性微生物やVBNC(生きているが培養できない)菌の検出が困難です。イムノアッセイ法やラテックス凝集法は簡便ではあるものの、感度の低さが課題です。一方、PCR法は高感度・高特異性を持ち、多様な病原体を検出できるものの、高価な装置と高度な運用スキルを必要とし、日常的な使用には適していません。これらの課題を解決するためには、簡便で迅速かつ高精度な新しい検査手法が必要です。
金ナノ粒子を用いた新しい核酸検出技術の可能性
このような背景から、私たちは金ナノ粒子を活用したセンサープローブを原理とする新しい核酸検出技術の開発を、北海道大学大学院工学研究院・佐藤久教授のグループとで鋭意進めています。この特許技術は、ターゲット遺伝子の塩基配列に相補的なDNAを作成し、それを金ナノ粒子で修飾して光化学的核酸プローブとして利用するものです。この技術に基づくプローブを用いることでは、従来のPCR法を不要とし、迅速かつ簡便に病原体を検出することが可能です。
特に、本技術を応用したオンサイト検査キットは、水系感染症を引き起こす11種類の病原体に対応し、従来の検査手法では困難だった課題を克服します。さらに、普及している安価な核酸抽出装置と組み合わせることで、操作の煩雑さを排除し、PCR法と同等の高感度な核酸分析をワンストップで実現します。このシステムが実現すると、飲料水の安全性向上における、グローバルな公衆衛生の改善と経済的損失の軽減にも大きく寄与するものと考えています。
私たちは、この革新的な技術を通じて、持続可能な社会の実現に向けた新たなソリューションを提供し、安全な飲料水の供給という喫緊の課題解決に貢献していきます。
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